本読むヒトデ

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林熊太郎贋作「鬼人退治 大江山頼光記」

こんばんは。古書店のHITODE BOOKS(ヒトデブックス)です。久しぶりのブログ更新です。

 

古書店をはじめて5年ほどが経ちました。その当初も、そして現在も舵取りは手探り的な状態ではありますが、日々その面白さを感じています。得意(好き)なジャンルは、能や狂言、歌舞伎といった伝統芸能関係や、ファッション、工芸、そして80~90年代の週刊誌も大好きです。買付けではそんなジャンルの本・雑誌を探していますが、まったく専門外のものを相手にすることの方が多く、その意味で「日々その面白さ」の真っ只中にいます。

 

先日の買付けでの話です。持ち主の祖父にあたる方が所有していたという古い本をたくさん仕入れました。そのなかに、色あせた包装紙で束ねられた絵巻物がありました。外題には『鬼人退治 大江山頼光記』とあり、上・中・下の3巻で構成されています。下巻の表紙には外題の他に、「林能太鷹」「安政六年」「巳末三月」と記されていました。

 

鬼人退治 大江山頼光記

鬼人退治 大江山頼光記

外題から「酒呑童子」についての絵巻物であることはすぐに判ります。しかし書名をインターネットで検索しても、同じものは見つかりませんでした。次の手がかりは「林能太鷹」なのですが、こちらも情報を見つけられず、「安政六年」と「巳末三月」が1859年であることだけが判っただけで、その日の作業は終わってしまいました。

 

2日ほど経ってもう一度、下巻の表紙を眺めてみました。そのとき、スタッフから「能」は「熊」と書いてあるのではないかという指摘を受けました。よく見てみると「能」の下に横棒が2本あります。普段、古書販売以外に伝統芸能能楽関連の仕事をすることが多いことが関係(?)してか、一見して「熊」を「能」だと思いこんでいたようです。

 

鬼人退治 大江山頼光記

熊ですよね

そうすると「林熊太」に続き、「鷹」の文字もどうも怪しくなってきました。「林熊太鷹」という名前は人名としてはあまり馴染まないように感じます。そこで「鷹」に似た文字をさまざま思い浮かべてみたところ、「贋」という文字が閃きました。「林熊太贋」……外題を検索しても何も見つけられない状況と、この4文字がぴったり重なり合うではないですか。「酒呑童子」に関する絵巻物を「林熊太」が模写して、表紙に贋作と記したということです。

 

しかし、「林熊太」で検索してみても、インターネット上にはそれらしい情報がありません。「林熊太」というのも、何か尻切れトンボ感があります。ここまで来ると、誰もが「郎」と付けてみたくなるものです。「林熊太郎」という名前はとても自然で、収まりも抜群にいいです。そこでもう一度この4文字で検索してみたところ、2つの情報が見つかりました。

 

ひとつは、2019年に広島県三次市に開館した「湯本豪一記念日本妖怪博物館(三次もののけミュージアム)」の所蔵品「百物語絵巻」(全2巻)です。作者として林熊太郎の名前が記載されており、明治時代に作られた作品のようです。絵巻の内容が同じ妖怪物で、制作時期も幕末を経た明治期ということで、これまた符合します。

 

もうひとつは、福島県いわき市にある「末続寺」にある林熊太郎のお墓の情報でした。「戊辰掃苔録」という個人の方のページで、明治元年(1868)からはじまる戊辰戦争で命を落とした方のお墓にまつわる情報がまとめられています。そこに「広島藩」の人物として「林熊太郎」のお墓が載っているのですが、「明治元年7月22日磐城末続村で戦死」とも書かれており、「24歳」と末尾にありました。広島という地名は三次もののけミュージアムと重なりますが、戦死した日付と年齢は「百物語絵巻」の制作時期と微妙に合わないように感じます。明治元年の早い時期に「百物語絵巻」を仕上げて、すぐに福島県に赴いたとも考えられますが、それ以上は何も判りません。

 

インターネットで検索するのもいいのですが、まずは手元にある3巻をつぶさに観察することが何より必要です。しかし、絵巻の長さが1巻あたり10m以上はありそうで、まだ全部を広げられていません。特に気になるのは下巻の巻末です。署名や、この絵巻の来歴などが認められているのではないかという期待があります。その作業のためには、まずは事務所の片付けが必要です。「月刊プレイボーイ」「フライデー」「銀花」「散歩の達人」などなど、未出品の雑誌が平積みになって、ただでさえ狭い空間を塞いでいます。何か新たなことが判ったら、続編を書きたいと思います。